「かわいい」がいっぱい!原田治展 at 新潟県立万代島美術館

アート・展覧会

現在、新潟県立万代島美術館にて『原田治 展「かわいい」の発見』が開催中だ。原田治さんは、1984年から2002年にかけ「ミスタードーナツ」のプレミアム景品を手掛けていたため、誰もが一度はあの絵を見たことがあるのではないだろうか。
実は筆者は、2019年に世田谷文学館で行われた展覧会を鑑賞済みだったのだが、大好きな原田さんの展覧会ということで新潟会場にも足を運んだ。

まずは原田治さんの原点を

会場は4つのゾーンに分かれている。最初のゾーンは「HISTORY」だ。
原田さんは1946年東京築地生まれ。生家は輸入食料品の卸商を営んでいた。7歳から抽象画家・川端実のアトリエに通い絵を習い始めた。この川端実は川端画学校を開設した川端玉章の孫に当たる人だ。
青山学院に中等部から通い、高校時代は渋谷・銀座・赤坂を遊び場としていたと紹介されていた。外国の雰囲気が味わえるソーダ・ファウンテン(カフェ)が好きだったとか。幼少時から思春期にかけての人生をなぞると、50年代のポップなアメリカと、日本特有の可愛いもの文化が融合した、オサムテイストの原点が見えてくる気がした。

大学時代のデッサンや幼少時の絵画が展示されている

高校卒業後に画家になりたいと師の川端実に相談するも「一生働かず稼がず、絵だけ描いていけるのなら良し、ダメなら絵描きになるな」と諭される。そこで画家を諦めた原田さんが選んだのは多摩美術大学のデザイン科に進学することだった。
卒業後、1年に渡るアメリカ滞在とヨーロッパ旅行を敢行。その時に描きためたイラストがアートディレクター堀内誠一の目に止まったことがきっかけで、「平凡パンチ」に掲載されることとなった。それをきっかけにイラストレーター原田治の活動が始まる。

壁一面にあしらわれたニューヨーク時代のイラスト

これぞ原田治という作品がズラリ!

ゾーン2の「WORKS」では原田さんが手掛けた多くの仕事を見ることができる。
雑誌の表紙イラスト、商品パッケージ、ミスドの景品などが並ぶ。

雑誌の挿絵。後のミスドグッズにつながるようなテイストがちらり

目が釘付けになったのは本の装丁コーナー。本好きなので、展覧会でこのコーナーがあるとつい見入ってしまう。ジョアン・ミロのようなものから、「え?これが原田さんなの?」という時代劇風のものまでズラリ。表現者としての幅の広さが、一目瞭然で分かるコーナーとなっていた。

本の装丁も数多く手掛けていた

原田さんは絵本も書いていた。最後の絵本となった『ハイク犬』は、何を絵本に登場させようかと検討していたことが分かるメモ書きなど、制作の舞台裏が分かる展示も行われていた。

『ハイク犬』の創作メモ

崎陽軒の「しょうゆ入れ」も原田さんの仕事のひとつだ。ちなみに「ひょうちゃん」という名前が付いてる。名付け親は「ひょうちゃん」を最初に手掛けた『フクちゃん』で知られる漫画家・横山隆一先生だ。
原田さんは担当したのは2代目ひょうちゃん。1988年から2003年まで使われていたそうだ。妙に可愛いなと、あの頃ずっと気になっていたのだが、まさか原田さんが手掛けていたとは。ああ、買っておけばよかった。そして大切にとっておけばよかった…と展示を見ながら悔やんだ。

崎陽軒創業80周年を記念して、新しく誕生した2代目ひょうちゃん

原田さんと言えばこれでしょう、というミスドグッズももちろん展示されている。

景品だけでなく「箱」も展示。あれもこれも全部可愛い!

思わず「きゃーっ!」と叫びたくなったのがこちら、キャラクターグッズのコーナーだ。「OSAMU GOODS」として販売が始まったのは1976年から。今となってはオシャレな文房具や雑貨はどこにでもあるが、昔は本当に少なかった。洒落っ気があり垢抜けた商品たちは、今見ても全く古さを感じない。改めて「可愛い」の底力を感じた展示だった。

オサムグッズ。全部欲しい!

パレットくらぶ、原田治が育んだ友情

原田さんの趣味の一つに「神社仏閣巡り」がある。ひとりではなく、気の合う仲間同士で旅行しながら各地を訪ねていたようだ。その仲間たちと1979年にグループ展を開くことになり、それがきっかけで誕生したのがパレットくらぶだ。
メンバーは、原田治、ペーター佐藤、安西水丸、アートディレクターの新谷雅弘だ(初期にはイラストレーターの秋山育も参加)。なんと魅力的な顔ぶれだろう!

「パレットくらぶ展」の案内状

パレットくらぶの展覧会に出展された原田作品も見ることができる。会場にはメンバーの4人が屈託のない顔で笑っている写真も飾られている。このうち今も健在なのは新谷雅弘さんだけだと思うと、素敵な笑顔もちょっぴり切なく見える。

パレットクラブの展覧会に出品された原田作品など

アーティストとしての、もうひとつの顔

画家を目指しながら、イラストレーターとして活動していた原田さん。仕事とは別に、コラージュや彫刻などの作品も作っていた。第3章の「JOY」では私たちが知っている原田さんとはひと味違う作品を見ることができる。
万代島美術館学芸員の濱田真由美さんは「お仕事のスタイルとは全く違う。純粋に美術を楽しみながら作られた作品」と解説した。

絵は「Palette Club タイポグラフィ展」出品作。(1989年)、下の作品は「Le Cargo Noir」(2001〜02年)

1985年、原田さんは自ら設計したアトリエを構えた。場所は東京から船で通える距離の島、だそう。その島がどこなのか、詳細は明かされていなかった。自身の趣味と美意識が詰まった空間と評されたその場所も、写真で紹介されていた。

溜息が出るような美しいアトリエ

「美術を発見することは心奪われる探検旅行」この言葉は、原田さんが36歳の時に上梓した『ぼくの美術帖』の帯に書かれたフレーズだ。会場には原田さんが執筆した本も展示されている。濱田さんは「エッセーを読むと、本当に美術がお好きでいらしたということが伝わってきます。古今東西の様々な作家が出てきて、原田さんがいかに多くの美術作品を見てきたのか、よく分かります」と話した。撮影NGだったため文章のみの紹介となるが、原田さんが紹介した作品とそのエッセーをセットで見ることができるという、うれしいコーナーも用意されていた。

原田さんが書いたエッセー集

「DUSTY MILLER」

展示最終章のタイトルは「DUSTY MILLER」シロタエギクの英名だ。これは、オサムグッズの発売元の会社名でもある。

オサムグッズを彩ったキャラクターたち

東京展で見たときからお気に入りだったのが、「ザジ」を描いた一連の作品だった。
原田さんはフランス映画『地下鉄のザジ』がお気に入りで、「かわいいの洗礼を受けた作品」なのだそうだ。おかっぱの女の子、決して美人ではないけれど、個性的で唯一無二の魅力があって、本当にたまらない。映画のザジとはまた違った「原田版ザジ」も、映画と同じく魅力的なキャラクターだ。またもう一度ザジに会えてうれしい!そう思いながら1枚ずつじっくりと眺めた。

ザジを描いた作品。雑誌オリーブの目次脇の漫画として描いた

今回、万代島美術館の展示を見て感じたのは、同じ企画展でありながら「東京展と見え方が全く違う」ことだった。企画展を担当した株式会社コスモマーチャンダイズィングの永島正幸さんは「どこの会場に行っても、同じ展示作品なのに違うものを見ているようだ」という感想が寄せられると話した。
新潟会場の後は、夏に福井県のあわら市で開催とのこと。その後も全国で巡回展は続くそうなので、もう一度見たい!という人は別会場にも足を運んでみてはいかがだろうか。

会場は一部を除いて撮影が可能。キャラクターをネオンサイン化した場所はおすすめのフォトスポット。会場に3箇所設けられている

原田治さんの作品を見た後に、心に残る切なさは何なのか。この言葉で腑に落ちた。

「隠し味のように加味する」、納得です

可愛いって、奥が深い。そして、年令を超えて永遠に心に訴えかけてくるものだなあと思いながら、会場を後にした。

グッズも充実

新潟県立万代島美術館
「原田治 展 「かわいい」の発見」2023年1月28日〜5月7日
新潟市中央区万代島5-1 万代島ビル5階 TEL:025-290-6655
休館日:月曜日(ただし3/20、5/1は開館)
午前10時〜午後6時(観覧券販売は閉館30分前まで)
観覧料:一般1,200円、大学・高校生900円、中学生以下無料

和田明子 Akiko Wada

リバティデザインスタジオスタッフ/かわいいもの探求家。 新潟日報「おとなプラス」、県観光協会のサイト、旅行情報サイトなどさまざまな媒体にライターとして寄稿し...

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