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長岡市出身の大ヒット漫画家 “るろうに剣心” 和月伸宏さん

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月刊マイスキップ 2013年1月号 vol.144より転載
※データ等は掲載当時のものです

シリーズ発行部数が累計5800万部を超え、海外23ヶ国でも翻訳されている大人気コミック「るろうに剣心」。1996年にはアニメ化され、今年8月には実写映画も公開。日本での観客動員数は百万人を突破、海外64カ国と2つの地域でも公開も決まった。
そんな世界的人気を誇る作品を描いているのは長岡市(旧越路町)出身の漫画家・和月伸宏さん。彼に子ども時代の思い出、漫画家になってからのこと、そして代表作の「るろうに剣心」について、たっぷりと話を聞いた。

大好きな漫画は、ドラえもん

子供の頃にはきっと誰しもお気に入りの漫画雑誌があったはず。その雑誌の発売日はもう一大イベントだ。指折り数えてワクワクしながら待っていた感覚は大人になっても忘れられない思い出のひとつではないだろうか。
和月伸宏さんもそんな子供時代を過ごしたひとり。大好きだった漫画雑誌は小学校低学年の頃は「コロコロコミック」で、なかでもお気に入りは「ドラえもんですね、やっぱり。いちばんの目当てで買っていました」。高学年からは「週刊少年ジャンプ」を愛読していた。
初めて漫画を描いたのは9歳のとき。きっかけは次兄がノートにコマ割りをして漫画を描いていたのを真似したことだった。その後、お兄さんはすぐに書くのを止めてしまったが和月さんはずっと描き続けた。
ところで数あるドラえもんのひみつ道具の中で、いちばんのお気に入りは?「もしもボックスです」。これは電話ボックスの形をした装置で、中に入って「もしも○○○だったら」と通話することで、外の世界がその通りに変化するというもの。「自分自身が漫画家として『イフのもの』を描いているため、イフの世界がどんなものかというのはとても惹かれるし気になりますね」

新潟の思い出は「雪」

幼き日から高校卒業までを越路で過ごした和月さんにとって、新潟時代の思い出と言えば「なんといっても雪」とのこと。真冬の夜にひとりで銀世界のなかを歩きながらその白と黒だけのコントラストの美しさに感動した時間は大切な思い出だ。
雪以外の思い出と言えば?という問いに返ってきたのは「中学校の通学路」という答え。和月さんが通っていた越路中学校は名勝もみじ園に隣接し小高い場所に位置しており「あの山の風景全体を含め、いつ通ってもグッとくるところ」なのだとか。「やはり思春期を過ごした場所だし、中学校時代は本当に楽しかったんです。あとは夏になるたびに信濃川の河川敷にクワガタを採りに行ったことも忘れがたい思い出ですね」
高校は長岡高校に進学。最初の1年は知り合いも少なく環境になじむのに必死だったが、2年生の時は楽しかったという。長岡高校は男子が多いため、進路別にクラス分けをすると全員男子という「男組」が出来ることがあり、和月さんはそのクラスに当たったのだ。男子ばかりの環境は気兼ねなく和気藹々としたもので、共学クラスとはひと味違う雰囲気や団結力があった。「文化祭の準備では『男女一緒のクラスには負けねえ!』とかって皆で盛り上がっちゃったりして(笑)いちばんバカなことやって、本当に楽しかった1年間でしたね」
ところが3年生になると雰囲気は一転。長岡高校は毎年のように東大合格者を輩出するような進学校。皆が受験ムード一色に染まっていく中で和月さんは「大学に行かず漫画家になります」と宣言。先生にはこってりと絞られたが、負けることなく思いを貫いた。

漫画家としての「心構え」

高校卒業後、上京して「よろしくメカドック」の次原隆二氏、「キャプテン翼」の高橋陽一氏などのアシスタントとして働いた。和月さんは働き始めたばかりの自分を「こちらとしては真剣にやっているつもりでも、どこか甘えがあったのかもしれない」と当時を振り返った。次原氏からは「お金を取るからにはこれまでとは違う気持ちで向き合わなくてはいけない」という漫画家としての「心構え」を教えてもらった。
その後「週刊少年ジャンプ」の看板作家として大ヒット作品を手掛け、アシスタントを抱えて連載をこなす身となった和月さん。「自分が持っているもの、教えられることは全部伝えていきたい」と語る。それは「自分を育ててくれ、自分の人生の中心となった漫画」を次世代につないでいくことが大切な使命だと思っているからだ。
和月さんのもとでアシスタントを経験した人は、その後活躍している人が多く「ONE PIECE」の尾田栄一郎氏もそのひとり。どうやら和月さんの思いは、確実につながっているようだ。

剣客商売と、るろうに剣心

「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」はデビュー作の時代劇が好評だったため、次も時代物で行こうということで生まれた作品。そのため「このままでは勉強不足」と古本屋に足を運んで資料を集め、時代小説をたくさん読んだ。自身が新撰組のファンということもあり、土方歳三を題材にした司馬遼太郎の「燃えよ剣」は作品に影響を与えたようだ。ということは剣心のモデルは!?「いえ、違います。『燃えよ剣』はどちらかというと敵キャラに生かされています。信念を貫く戦う男たちみたいな感じで。剣心のモチーフになったのは池波正太郎先生の『剣客商売』のおじいちゃん、秋山小兵衛なんですよ」
秋山小兵衛は小柄で飄々とした雰囲気だが実は凄腕の剣術使い。つねに強さを誇示しているキャラよりも、ふだんは穏やかでありながらいざというときには別人のように決める…そういうキャラの方が「余裕があってカッコイイ」という和月さんなりの美学が反映しているようだ。
ちなみに主人公の名、緋村剣心は上杉謙信から取ったのだろうか?「謙信と読みが一緒なのはまったくの偶然。人から指摘されて初めて気付いたんです。剣=強さ、心=優しさ、という意味を込めて名付けました」

描くなら、井上円了

インタビューの最後、長岡の先人を描いた漫画「長谷川泰物語」を紹介しがてらこう聞いてみた。もしも郷土の人を描くなら誰?答えは旧越路町出身の井上円了だった。円了は東洋大学の創始者、妖怪研究の祖など、さまざまな顔で知られるアカデミックな人物。自伝的なものか、妖怪をメインにするか、そこまでは分からないとしながら「もしやるとしたら円了だと思っています」
いつか和月漫画に円了が登場したら、どんな形になるのだろうか。新潟という土地を厳しい冬も含めて愛し「自分を育ててくれた風土」と語る和月さんが、越後の偉人をどう描くのだろうか。ぜひ読みたい!強く、そう思った。(了)

漫画家 和月伸宏
1970年東京生まれ、長岡市(旧越路町)育ち。1987年「ティーチャー・ポン」で第33回手塚賞佳作を受賞。1994年「週刊少年ジャンプ」に「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」を連載。1996年にはテレビアニメ化、2012年には実写映画化される。現在ジャンプスクエアにて「エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-」を連載中。

All Images © 和月伸宏/集英社
■協力:「ながおかエンジン02」企画運営員会
■取材文責:LDS 和田竜哉・和田明子

リバティデザインスタジオ

新潟県長岡市のデザイン事務所。グラフィックデザイン全般、取材・撮影・ライティング・編集などの業務を展開。

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