ゆかりの地で学ぶ「日蓮聖人と法華文化」at 新潟県立歴史博物館

アート・展覧会

2021年は日蓮聖人にとって「生誕800年・佐渡入国750年記念」という特別な年だ。それにちなんで新潟県立歴史博物館で企画展「日蓮聖人と法華文化」が7月17日から始まった。これは新潟と同様に日蓮とゆかりの深い地である山梨県立博物館との共同企画展となる。担当研究員の前嶋(まえしま)敏さんの案内でいざ展示室へ!

そもそも日蓮とは

博物館へ行く前に、そもそも自分が「日蓮」についてどれだけ知っているのか、改めて考えてみた。日蓮宗の宗祖で、佐渡に流された人……ここで知識が止まっているのだ。あまりにも高名な人物過ぎて、「知ったつもり」になっていたことに気づいた。
これはまっさらな状態で日蓮聖人と向き合い、新潟県との関係などを学ぶ良い機会だと思い、寺子屋で教えを請う村の小僧の気分で展示室へ向かった。

※取材後に展示替えがあったため、掲載写真には現在展示されていないものがあります

釈迦如来像(山梨県身延町本遠寺)と日蓮聖人坐像(静岡県裾野市・車返結社)

展覧会は3章仕立てになっている。第1章は「日蓮の思想と生涯」だ。
まずここで日蓮の宗教世界とはどのようなものか、そしてどんな人生を歩んだのかがパネルや年表で紹介されている。それによると日蓮は1222年、現在の千葉県鴨川市の漁村に生まれた。数え12歳で寺に入り、16歳で出家、その後鎌倉や京都へ留学する。32歳頃に名を日蓮と改め、仏教の代表的な経典「法華経」の教えを広めるために尽力した。
「日蓮聖人は、釈迦の真意は法華経にあると考え、南無妙法蓮華経の題目を唱えました」と前嶋さん。展示室に入るとまずはお釈迦様と日蓮像が並んで出迎えてくれる。

日蓮聖人像〈波木井(はきい)の御影〉(山梨県身延町久遠寺)

第1章の第1節は「日蓮のすがた」というテーマ。
さまざまな人が描いた日蓮の肖像画を見ることができる。
展覧会のメインビジュアルに使われている、上の写真の肖像画は「よく知られた日蓮の肖像画」だ。

長谷川等伯による日蓮聖人像(石川県珠洲市本住寺)

狩野派と肩を並べる桃山時代の絵師・長谷川等伯による説法像で、左に扇子を持っている。これは「日蓮像として良く描かれるスタイル」になるそうだ。

仏涅槃図(三条市本成寺)

第1章第2節は「法華経の諸仏・諸菩薩・諸尊」。法華経とその世界を表したさまざまな仏や菩薩などを紹介するパートだ。
上の写真はお釈迦さまが入滅したときの様子を書いた「仏涅槃図」。
三条市のお寺の所蔵品で、年に1度の涅槃会の日に半日だけ掛けられるものだが、今回の企画展で特別に貸し出されたため、じっくり見ることができた。

妙見菩薩立像(刈羽村玉泉寺)

日蓮法華宗の守護神とされている妙見菩薩の立像も展示されていた。
妙見菩薩とは北極星または北斗七星を神格化したもので、物事の真理や善悪を見通す力を持つという。通常は後ろに見えるお堂に安置されているが、今回はこのようにお姿を間近ではっきりと拝見することができた。足元の玄武の形まではっきりと分かるのがうれしい。

一尊四菩薩像(三条市本成寺)

「まあ、なんて輝かしい仏像……」と思いながら、拝見したのは一尊四菩薩像だ。
これは日蓮法華宗の本尊形式のひとつで、一尊(中央に配置)=釈迦如来、四菩薩(左右に配置)=上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩のことだ。ちなみに日蓮は自らを上行菩薩の生まれ変わりと信じて、法華経の布教活動を行ったという言い伝えもある。
じつはこの仏像は、次の展示へとつながっているのだ。

宗教観を表す曼荼羅の世界

日蓮聖人曼荼羅本尊(佐渡市妙宣寺)

これは日蓮の自筆による大型の曼荼羅本尊だ。
曼荼羅というと、幾何学模様のカラフルなパターンが繰り返される曼荼羅アートや、仏様がたっぷりと描き込まれたものというイメージが強いが、これは文字曼荼羅という種類のものだ。「真ん中に南無妙法蓮華経、左右に上行菩薩などの文字があります。前出の一尊四菩薩像は、この日蓮聖人の書いた世界観(曼荼羅)を仏像で表したものになります」
なんと!それを聞いて思わずもう一度仏像を見に戻ってしまった。

左・小絵曼荼羅(三条市本成寺)と中央・宝塔絵曼荼羅(長岡市妙法寺)、右・日蓮聖人曼荼羅本尊(山梨県身延町久遠寺)

左と中央の絵曼荼羅は、日蓮の世界を絵で表現したものだ。釈迦如来と多宝如来が宝塔に入ったものとそうでないもののふたつのタイプがある。日蓮の直筆で宗教観をしたためた文字曼荼羅(右)と、それを絵で表現したものをならべて見ることができるのは貴重な機会だ。

日蓮の生涯

守護国家論(山梨県身延町久遠寺)

第1章第3節では「日蓮の生涯」を紹介する。
法華経を広めるために鎌倉に出た日蓮は、時の政府である鎌倉幕府に立正安国論を提出するが受け入れられなかった。当時の鎌倉は大地震、飢饉、疫病と数々の災害に見舞われていた。立正安国論はその受難の時代に対していかにするべきか、政府への提言として書かれたものだ。守護国家論はその底本のひとつとされる。

佐渡流刑の様子が描かれた絵巻「日蓮聖人註画讃(東京都大田区池上本門寺)」の一部

その後、日蓮聖人は逮捕され流罪となってしまう。送られた先は佐渡だった。1271年から74年まで足掛け4年ほどを過ごし、赦免された後は山梨県の身延山に入り、以後亡くなるまでその地で過ごした。

では日蓮は佐渡、山梨でどのように過ごしたのだろうか。
それを紹介するのが第2章「佐渡・越後・甲斐の日蓮法華」だ。

千日尼夫妻立像(佐渡市妙宣寺)

日蓮聖人は佐渡でも布教活動を続け、その教えに共感する信者、支援者がいた。
写真の像は日蓮の身の回りの世話をした阿仏坊と千日尼夫妻だ。夫が櫃を背負い夜陰に紛れて食事を運んだという。千日尼のものと伝わる鏡や念珠も並べられている。
こうして残された品々を間近に見ることで、歴史上の人物・日蓮が本当に佐渡の地に存在していたのだということが伝わってくる。

リアル聖地巡礼

日現上人曼荼羅本尊(佐渡市妙経寺)

後の時代の人たちは「日蓮聖人の法難を追体験しよう」という思いから佐渡に渡る人が増えた。これぞまさにリアル聖地巡礼である。
写真は、江戸・池上本門寺の高僧・日現のもとにいた修学僧が北陸道の霊跡巡拝に向かうと聞き、「日蓮聖人の曼荼羅の写しを佐渡のお寺に持っていってほしい」と託したものだ。

科註函(長岡市妙法寺)

越後には日蓮ゆかりの寺院がいくつもある。
長岡市村田の妙法寺は、日蓮が臨終に際して指名した6人の高弟「六老僧」の1人、日昭が開いた。写真の箱は「科註函(かちゅうばこ)」という説教用具を入れる仏具で妙法寺の所蔵品だ。蒔絵で獅子や竜などが施されており、その美しさにしばし見入ってしまった。
また三条の本成寺、角田浜の妙光寺は日蓮の孫弟子にあたる日印が開いた寺院だ。

久遠寺に残る書物「補施集」

1274年、赦免を受けた日蓮聖人は鎌倉を経て、身延山(山梨県)に入り、ここに草庵を構えた。死後は弟子のひとりが継承し、身延山久遠寺として今も続いている。
写真は久遠寺の第11世日朝が記した「補施集(ほせしゅう)」という、日蓮の残した文章の注釈書だが、なんと全145冊(巻)もあり、晩年に10年ほどかけて執筆したという。

七字の経石(山梨県笛吹市遠妙寺)

甲斐の日蓮聖人にまつわる品として、興味深いものが展示されていた。これは鵜飼いの霊場・遠妙寺に伝わる経石だ。7つの石に南無妙法蓮華経が書かれている。
平氏の落ち武者が殺生禁止の場所で鵜飼いをしていたところ見とがめられ、地元民によって川底に沈められてしまった。以来、鵜飼いの姿の亡霊となってさまようになったという。展示されているのは、それを鎮めるために日蓮が用いた経石の一部だ。伝承ではあるが興味深いエピソードだ。

足跡をたどる

高祖御一代略図(立正大学図書館)

締めとなる第3章は「日蓮の伝承と霊場としての佐渡・越後・甲斐」だ。日蓮聖人がたどった各地でのエピソードやご縁のある土地などを紹介している。
写真は、日蓮聖人550年忌を記念して作られた歌川国芳の10枚揃いの錦絵「高祖御一代略図」の1枚で、「佐州流刑角田波題目」だ。佐渡に流されるときに「南無妙法蓮華経」と波に書いたことで、荒海を静めたエピソードが描かれている。

日蓮の伝承地・寺院

新潟や山梨には日蓮聖人の足跡が多く残っている。
それらがパネルで紹介されていたが、中には「佐渡流罪の赦免状を見たときに腰掛けていた石」など、まるで大スターの痕跡を追いかけているような場所もあって驚かされた。
日蓮の存在の大きさを改めて感じた企画展であった。

新潟県立歴史博物館
新潟県長岡市関原町1-2247-2 TEL:0258-47-6130
夏季企画展「日蓮聖人と法華文化」
2021年7月17日(土)〜8月29日(日)※8/11から約50点が展示替え 9:30〜17:00、休館日(7/19(月)、26(月)、8/10(火)、16(月)、23(月))
一般940円、高校・大学生600円、中学生以下無料

リバティデザインスタジオ

新潟県長岡市のデザイン事務所。グラフィックデザイン全般、取材・撮影・ライティング・編集などの業務を展開。

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