化石ハンター展〜ゴビ砂漠の恐竜とヒマラヤの超大型獣〜 at 新潟県立万代島美術館
「化石ハンター」…なんともワクワクする言葉だ。
そもそも化石ハンターとは、地層の中に眠っている化石を探す挑戦者のことをいう。未知なるものを探し求め、世界中を飛び回るその仕事は、あの「インディ・ジョーンズ」を彷彿とさせる。
新潟県立万代島美術館で開催中の「化石ハンター展〜ゴビ砂漠の恐竜とヒマラヤの超大型獣〜」は、伝説の化石ハンターと呼ばれたロイ・チャップマン・アンドリュースが、中央アジアを探検してから100年経ったことを記念して、企画された展覧会だ。2022年の東京の国立科学博物館からはじまり、新潟展は4会場目。ちょうど夏休みシーズンに開催されることとなった。
伝説の化石ハンター、アンドリュースとは
展覧会は全7章仕立て。第1章では「伝説の化石ハンター誕生」と題し、この企画展開催のきっかけとなったロイ・チャップマン・アンドリュース(1884〜1960)という人物について紹介されている。彼は動物好きで、少年時代には独学で狩猟や剥製作りの技術を身に付け、大学卒業後にアメリカ自然史博物館で、見習いの剥製師として働き始めた。その後、国際的な海洋調査(鯨類調査)に参加することになり、日本にもやって来たことがあるのだ。
来日時、アンドリュースは帝国博物館(現・東京国立博物館)に「トックリクジラ属種不明」と表記された標本を観に来たことがある。そこで彼はその標本がツチクジラであることを指摘したという逸話が残されている。
この企画展を監修した国立科学博物館名誉研究員の冨田幸光さんによると、アンドリュースは語学力が抜群だったそうで、日本滞在中に日本語を覚えてしまったため、言葉で不自由することはなかったそうだ。また訪問先の環境にすぐ適応する人物でもあったとか。まさに秘境の地に繰り出して発掘調査をする、化石ハンターにピッタリの人物だったのだ。
いよいよ、ゴビ砂漠の探検へ!
日本での捕鯨調査の後、アンドリュースは東アジアで陸生哺乳類を対象とした動物学探険を1916〜17年と19年の2度に渡って行い、ゴビ砂漠も訪れた。
その後、彼の師にあたるヘンリー・F・オズボーンという古生物学者が立てた、「哺乳類の起源がアジアにある」という仮説を証明するため、中央アジア探検隊を結成。先の探検で目を付けていたゴビ砂漠へと向かったのだ。
第2章のタイトルは「アンドリュース、ゴビ砂漠への探検!」
この探検は全5回、1930年まで続いた。今でこそゴビ砂漠は、世界有数の恐竜化石の産地として知られているが、当時は「太平洋の真ん中で化石を探すようなもの」という批判も浴びるような土地だったという。
だが予想を覆し、最初のキャンプ地付近で副隊長のウォルター・グレンジャーが、ポケットいっぱいの骨化石を見付けてきた。みな大喜びで、この探検の成功を確信したという。
探検の成功の鍵のひとつに、ラクダ隊と自動車隊を組み合わせてキャラバンを組んだことで、広範囲に調査が行えたということが上げられていた。22年の探検終盤、道に迷った自動車隊が岩壁に恐竜の化石を発見するという幸運にも恵まれた。その場所は、夕陽が当たると真っ赤になることから「炎の崖」と名付けられた。
炎の崖からは、23年の探検時に恐竜の卵や、プロトケラトプスの化石も見つかった。冨田さんいわくその数なんと「赤ちゃんから、成人、おじいちゃん、おばあちゃんまで70体」だったという。
炎の崖では、卵の化石も30個ほど見付かった。この崖からはプロトケラトプスの化石が多く出ていたため、当初は同種の卵だと考えられていた。
さらにその近くで見つかった恐竜には「プロトケラトプスの卵を盗んだ恐竜」ということで、オビラプトル(卵泥棒という意味)という名前が付けられた。
だがそれから70年以上経った1990年代、ゴビ砂漠で孵化前の卵と、それを温めるオビラプトル類の親恐竜の骨格が発見された。その卵を調べたところ、プロトケラトプスの卵だと思っていた化石が、実はオビラプトル類のものだったことが判明したのだ。
その後の化石ハンターたち
アンドリュースが率いた中央アジア探検隊が、ゴビ砂漠を最後に訪れたのは1930年。31年にアメリカに戻ってからはアメリカ自然史博物館の副館長、館長を経て名誉館長に就任。60年に亡くなるまで、過去の探検活動の執筆を行うという生活を続けた。
第3章では、アンドリュースがゴビ砂漠を去った後に活躍した、次世代の探検家たちが紹介されている。第二次大戦終了後、ゴビ砂漠での化石調査を再開したのはソ連隊だった。ソ連隊は、ティラノサウルスによく似た肉食恐竜タルボサウルスを発見した。
驚いたのは、1965年にポーランドの調査隊の隊長を務めたのが、ゾフィア・キエラン・ヤボロフスカという女性研究者だったことだ。この隊には他に2名の女性が同行しており、大きな成果も残している。
日本の化石ハンターも紹介されている。1990年に日本の調査隊がモンゴル側のゴビ砂漠に入り、林原自然科学博物館(2015年解散)とモンゴル科学アカデミーが広範囲を調査。他にも日本、中国、モンゴル3カ国共同で、未調査だった国境付近の調査を行っている。展示には日本隊の調査最終日に発見された化石もあった。
化石だけではない、探検隊の発見
そもそもアンドリュースが5回に渡ってゴビ砂漠に赴いた目的は、人類の起源につながる哺乳類化石を発見するためだった。第4章のテーマは「アンドリュースが追い求めた哺乳類の起源」だ。恐竜の卵を発見したことで脚光を浴びたが、その後、史上最大の陸生哺乳類のパラケラテリウムから、ネズミほどの大きさの小型哺乳類まで発見している。
小型とはどの程度の大きさか、実際の展示を見て驚いた。アンドリュースは地面にはいつくばって、懸命に化石を探したそうだ。
世界初公開!チベットケサイの展示
アンドリュースたちが発掘したゴビ砂漠の化石産地は、その後に国際情勢が変化したことにより停滞し、場所が不明になってしまった。
アメリカ自然史博物館に勤務していた王暁鳴(ワンシャオミン)博士は、残された膨大な写真を元に、1990年代から2000年にかけて発掘地の調査に乗り出す。その後、王博士はチベット高原で哺乳類の化石が発見されたことを知り、ゴビ砂漠に続き、チベット高原での調査にも着手した。
第5章のタイトルは「挑戦の地、チベット高原へ」。まずは、チベット高原の苛酷な気候が、哺乳類にとって寒冷環境に適応するための訓練の地になっていたのではないかという説を、王暁鳴の研究チームは提唱。それを裏付ける化石が展示されている。
冨田さんは「チベット高原の動物たちは最初から氷河期のような寒いところで暮らしている。寒さに体が慣れているから、シベリアに移動しても全然OK。寒冷地に適応した動物たちが、チベットから広がっていたのではないかというのを『アウト・オブ・チベット』説といいます」と紹介した。
第6章は「第三極圏の超大型獣に迫る」として、「アウト・オブ・チベット」説の解説や、さらにこの説が提唱されるきっかけとなった「チベットケサイ」の全身骨格と生体モデルを復元したものが、なんと世界初公開されている!
こちらがその展示。骨だけのほうはお父さん。ころんと横になっているのは子ども。それを右側で優しく見守るお母さんという、ファミリーを想定した展示なのだとか。
次世代を担う化石ハンターたちへ
最終章の第7章は「次の化石ハンターとなる君へ」
この展示を見ている子どもたちの中に、将来のアンドリュースがいるかもしれないのだ。
冨田さんは「知識として知っていても実物を見る機会は少ないと思う。標本の本物を見る機会は重要。この展示を通して、研究というのはバトンをつなぐように、次の世代に受け継がれていくということを知ってほしい」と話した。
新潟県立万代島美術館の担当学芸員、伊澤朋美さんは「やはり大きな化石標本は実際に見ると迫力が違います。アンドリュースに始まって現代に至るまで、彼の偉業を追いかけた各時代のハンターたちの業績や、探検の様子も紹介しています。この展覧会を見た子どもたちの中から、未来のハンターが誕生したら素敵ですね」と話してくれた。
ショップではなんと!アンモナイトなどの本物の化石が販売されていた。恐竜関係の書籍もあり、夏休みの自由研究にぴったりの企画展示。かつて恐竜好きだった大人たちも、今夢中の子どもたちも、幅広い世代で楽しめますよ!
新潟県立万代島美術館
化石ハンター展 〜ゴビ砂漠の恐竜とヒマラヤの超大型獣〜
2024年6月25日〜2024年09月23日
新潟市中央区万代島5-1 万代島ビル5階 TEL:025-290-6655
休館日:7/1(月)、22(月)、8/5(月)、19(月)、26(月)、9/2(月)、9(月)
午前10時〜午後6時(観覧券の販売は閉館30分前まで)
観覧料:一般 1,800円/大学・高校生 1,500円/中学生以下無料