国宝が長岡に舞い降りる「平等院鳳凰堂と浄土院 その美と信仰」 at 新潟県立近代美術館
幼い頃、平安貴族に憧れたことがあった。おそらく百人一首に描かれている女性たちの優雅な十二単姿に惹かれてのことだったろう。その後、歴史小説などを読み、あの雅な文化の中心に「この世をば わが世とぞ思ふ」の和歌で知られる藤原道長という人物がいたことを知った。京都府宇治市にある、道長の息子頼通ゆかりの名刹・平等院の名品を集めた展覧会が、新潟県立近代美術館で開催中だ。題して「平等院鳳凰堂と浄土院 その美と信仰」。果たしてどのような世界が広がっているのだろうか。
国宝が長岡に舞い降りた
まずはプロローグ「平等院の開創」で、1994年にはユネスコの世界文化遺産にも登録された平等院のいわれを、展示を通して知ることができる。日本人にとっては10円硬貨のデザインに採用された建築物としておなじみの風景だ。鳥が羽を広げたような左右対称の姿はじつに美しい。
最初に迎えてくれるのは鳳凰像(模造)だ。本尊の阿弥陀如来坐像を安置する平等院鳳凰堂の正式名称は「阿弥陀堂」。大棟に2羽の鳳凰が乗っていること、鳥が羽をひろげたような外観をしていることから鳳凰堂と呼ばれるようになった。
鳳凰は中国の神話に由来する伝説上の瑞鳥で、1万円札の裏にも描かれている。瑞鳥とは古来よりめでたいことが起こる前兆として現れる鳥とされている。
平等院は、かつては紫式部が記した「源氏物語」の光源氏のモデルと言われる源融(みなもとのとおる)の別荘だった。それを藤原道長が買い取り、息子の頼通(よりみち)が1052年に寺院とし、その翌年に鳳凰堂が創建された。そのため会場には源氏物語の写本も展示されていた。表紙の色がそれぞれ違い、花の紋様がほどこされているなど雅な美を感じさせる。
こちらは土佐光則が描いたとされる「源氏絵鑑(えかがみ)帖」だ。紫式部は道長の長女・彰子の家庭教師を務めており、道長は「源氏物語」執筆の後援者だったとも言われている。また式部を口説こうとしたがそっけなく袖にされたという説もある。源氏物語に関する展示を見ていて、思わず平安時代の人間関係に思いを馳せてしまった。
ほかに当初の遺構を伝える瓦や、平等院誕生の経緯を記した「平等院旧起」なども展示されている。
こちらは平等院の塔頭、浄土院にある建物・養林庵書院で「最重要」と書かれた木箱の中に保管されていたものだ。手の大きさから平等院開創時に安置されていた本尊・大日如来座像のものであったと推測されている。
鳳凰堂の美
釈迦の死後、千年経つと「末法」が訪れるとされていた。末法とは仏の正しい行いや悟りが消えていってしまうということ。平安中期、貴族や僧侶の間でこの末法思想が広がり、極楽往生を願う浄土信仰が広く流行した。平等院が開創されたのはまさにこの末法初年に当たる1052年(永承7年)のことだった。
そのため平等院はこの世に極楽浄土の姿を再現すべく造られた。しかし戦乱や火災などで荒廃し、鳳凰堂を除いたすべてが失われてしまったのだ。残された鳳凰堂の創建時の姿を再現しようと後の世の人たちが尽力し、復元模写・模造が作られた。第一部では「鳳凰堂の美」として、復元された飾り金具や天蓋などが展示されている。
こちらは2005年から行われた保存修理、調査研究に基づいて復元された鳳凰堂天蓋の一部だ。この天蓋は阿弥陀如来坐像の頭上を覆う荘厳具として作られたもの。荘厳(しょうごん)とは仏・菩薩身を装飾することで、観る者に浄土を想起させるものだ。普段天井にあるものを間近で見られるのはまたとない貴重な機会だ。
復元は彩色にも及んだ。こちらは来迎柱(らいこうばしら)の彩色紋様の復元模写で2004年から2006年にかけて文化庁の事業として制作されたものの1点だ。来迎柱とは、本尊を祀る須弥壇(しゅみだん)の左右にある円柱のことだ。お堂が出来た当初は、柱まで壮麗な色彩にあふれていたことが伝わってきた。
国宝を間近で拝見!
今回の展示の目玉はなんと言っても国宝「雲中供養菩薩像」だ。
極楽浄土の阿弥陀を讃える姿、あるいは阿弥陀と共に人々を救うために来迎した姿を現すとされている。平等院では鳳凰堂内か平等院ミュージアム「鳳翔館」で拝観できるが、全52軀のすべてが公開されているわけではない。今回は通常非公開の4軀(前期4/23〜5/15に南・14号、北1号、後期5/17〜6/5に北13号・南1号)を見ることができる大変貴重な機会だ。
雲に乗って楽器を奏でたり、舞を舞ったりする姿に一つとして同じものはない。神居住職はそのお姿を「みんな違う、伸びやかなお姿」と表現し、多様性を認める素晴らしい文化として紹介していた。私は菩薩さまを見ながら、映画監督・高畑勲さんの遺作『かぐや姫の物語』で、月へ帰るかぐやを天界の方々が迎えに来るクライマックスシーンを思い出した。
祈りの心
第二部は「祈りの心」。こちらでは平等院や塔頭に伝わる仏像・神像を紹介。さらに平等院に信仰を寄せて支えてきた人たちの足跡も辿るという内容になっている。
宇治市指定文化財の「不動明王及び二童子像」だ。子年生まれは「千手観音菩薩」など、十二支にはそれぞれ本尊があることをご存じだろうか。じつは私の本尊は不動明王で、寺社仏閣でお不動さまがいらっしゃるとつい気になって見てしまうのだ。会場で不動明王のお姿を拝見することができ、何かうれしい縁を感じた。
不動明王のウィンクしているような目つきは「天地眼(てんちがん)」といって右目で天、左目で地を見てすべてを見守っていることを意味しているそうだ。
こちらは今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した源頼政(みなもとのよりまさ)の像だ。源氏でありながら清盛から信頼を受け、従三位にまで上り詰めるも、最後は平家追討に出陣。戦いに敗れ平等院で自害した人物として描かれていた。
江戸時代の浮世絵師、勝川春亭(かつかわしゅんてい)による「宇治平等院図屏風」だ。中央の二曲に鳳凰堂が描かれている。二人の旅人が配されているあたりが源頼政終焉の場所である「扇の芝」だそうだ。平等院が礼拝の場であると同時に、観光名所でもあることが描かれている一点と紹介されていた。
明治時代、岡倉天心率いる日本美術院によって、雲中供養菩薩像などの修理が行われた。その修理の中心となったのが新納忠之介(にいろちゅうのすけ)だ。これは新納の修理帖で赤が補足箇所、緑が修繕箇所になる。いかにして先人たちが文化財保護を行ってきたのかが伝わる貴重な資料だ。
守り、語り継ぐ
第三部は「守り、語り継ぐ─浄土院の収蔵品を中心に」と題し、塔頭・浄土院に伝わる品々を紹介する。
「最重要」と書かれた箱から仏像の手と思しきものが見つかり、おそらくそれが平等院創建時に安置されていたものだったのではないか…というエピソードは先述したが、こちらは箱が見つかった場所(養林庵)の襖絵になる。狩野派の絵師、狩野山雪によるものと伝わっている。中央に描かれたフクフクとした2羽の白鳩が何とも愛らしい。
綸旨(りんじ)とは天皇の仰せを受けて発行される文書のことだ。書いてあることはほんど読めなかったのだが、解説によると平等院住持(住職)であった人物に香衣(こうえ)の着用を認めたという内容だそうだ。これは紫衣(しえ)に次いで格式が高いもので、いかに平等院が格の高い寺院かということが伝わる文書だ。
一見すると墨一色で書かれた藤の花のように見えるこちらの作品は、2012年に現代美術家の山口晃さんが奉納した襖絵「当卋来迎図(とうせいらいこうず)」だ。寺外初公開となる。よく見ると南無阿弥陀仏の文字が書き連ねられているのだ。
さらにこちらは人々を極楽浄土へと誘う様子を表した絵だ。一瞬何かの建物に見えるがよく見ると蒸気機関車が描かれていることが分かる。空に浮かぶ蒸気機関車は、この世からあの世へと人々を運ぶ役割を果たしているのだ。
車窓の下に見えるのはなんと清水寺や京都タワーなどの名所たち!こんな風に極楽浄土に旅立つことができたらさぞや楽しかろうと思わずにはいられなかった。
同展覧会に合わせミュージアムショップがオープンしている。じつはミュージアムショップに行くと必ず「トランプ」グッズをチェックしているのだが、今回すごい一品を発見した。雲中供養菩薩像、全52軀をカードに納めたトランプだ。まさに「雲中供養菩薩像ミニ写真集」のよう。
平等院ゆかりの品や、宇治茶を使ったスイーツなどの京都のおみやげ、フェリシモとコラボしたアクセサリーなども販売されているので、美術鑑賞の後に立ち寄ってみてはいかがだろうか。
All Images ©平等院
「新潟県立近代美術館」
「平等院鳳凰堂と浄土院 その美と信仰」2022年4月23日〜6月5日
新潟県長岡市千秋3丁目278-14 TEL:0258-28-4111
休館日:4/25 (月)、5/16(月)、23 (月)
午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料:一般1,500円、大学・高校生1,300円、中学生以下無料