行為と詩情―ACTION & POETRY 特別展示:尼崎市コレクション 白髪一雄 at 新潟県立近代美術館
本年8月、生誕百周年を迎える画家・白髪一雄(しらがかずお 1924-2008)。白髪の出生地であり、生涯のほとんどを過ごした兵庫県尼崎市では、作品の魅力や人物像を発信する目的で「白髪一雄発信プロジェクト」を立ち上げ、全国各地の美術館と共同で展覧会を開催してきた。
唯一無二の表現者
「白髪一雄発信プロジェクト」がスタートしたのは令和元年。これまで青森県立美術館や東京オペラシティアートギャラリー、高松市美術館、宮崎県立美術館、北九州市立美術館と続き、5年目の6会場目となるのが新潟県立近代美術館の『行為と詩情―ACTION & POETRY 特別展示:尼崎市コレクション 白髪一雄』だ。通常の巡回展とは異なり、各館ごとに企画を立ち上げるため、会場ごとに展示内容が違うのが特徴だ。
展覧会開会翌日に「白髪作品を味わう」と題した講演会を行った関西大学教授の平井章一さんは、兵庫県立近代美術館を皮切りに、国立新美術館など複数の美術館で30年間学芸員として働いてきた人で、「白髪一雄生誕100年記念事業」の実行委員長も務める。「足を使って描く『フットペイント』という技法を用いる画家は白髪さんただひとりで、世界的にも高い評価を得ている」と話す。唯一無二の表現者として活躍した白髪とは、果たしてどんな人物だったのか。まずはひもといてみたい。
白髪は尼崎で呉服店を営む家に生まれた。幼少時より絵を描くことが好きで、演芸や文学などにも親しむ少年だった。義務教育は小学校までという時代に、中学(旧制高校)から京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に進み、日本画を学んだ。本当は洋画を学びたかったが、当時、西洋画を学べる公立の学校は東京美術学校くらいしかなかった。関西在住でさらに戦時中でもあり、やむなく近くの学校を選んだ結果だった。
終戦後の1948年、専門学校を卒業した白髪は、兼ねてからの希望を叶えるべく洋画に転向した。50年には芦屋在住の洋画家、伊藤継郎(つぐろう)のアトリエに通い、洋画を学ぶ。伊藤と同じ新制作派協会の会員だった金山明、村上三郎、田中敦子らと1952年に「0(ゼロ)会」を結成した。「芸術とは何もないゼロ地点から出発して創造すべき」という白髪の思いがそこにはあった。さらに白髪は、絵画の基本要素である構図や色彩がない「ナマコみたいな絵」を描くことを目標に創作に取り組んだ。こうして誕生したのが、一筆書きのように指だけで描いた作品だ。
「白髪さんの作風は、思いつきで生まれたものではない。絵筆からヘラ、ヘラから指、指から足と変わっていったが、そこには常に新しい表現への挑戦があった」と平井さんは解説する。フット・ペインティングにたどり着き、作品を発表したのは1954年、30歳の時だった。
その翌年、0会のメンバーとともに「具体美術協会」(以下、具体)の会員となった。具体というグループが掲げたテーマは2つ。「我々の精神が自由であることを具体的に表しなさい」「これまで誰もやっていないことをやりなさい」というものだった。「足で描くことはそれ以前からやっていたが、天井からロープをぶら下げて滑走しながら描くというスタイルが生まれたのは『具体』以降」だそうだ。
白髪作品がずらり!
今回の企画展は3章仕立てになっている。第1章のタイトルはずばり「白髪一雄」で、白髪作品が26点並ぶ。新潟県立近代美術館学芸員の今井有さんは「1960年頃から2000年まで40年にわたる白髪作品を観ることができる。同じ油彩でも制作時期によって使っている絵具が違うものもあり、その質感を見比べるのも楽しい」と話す。尼崎市所蔵の《天富星撲天雕》は、絵具の盛り上がり方が激しい、迫力ある作品で「展示室で作品を開梱した瞬間、改めて良い作品をお借りすることが出来たと思いました。やはり生で観てこそ感じるすごさがあります」とその魅力を語った。
一方、新潟県立近代美術館・万代島美術館の所蔵品《志賀#107》は、《天富星撲天雕》に比べるとさらりとした質感で、線の動きにスピード感がにじみ出ているように感じた。
《天傷星行者》はほぼ黒一色で描かれている。白髪が目指した「ナマコみたいな絵」の特徴のひとつが「色彩がない絵」だ。これは色を用いないということではなく、ほぼ1色で表現することを意味している。ちなみに前出の《天富星撲天雕》やこの《天傷星行者》は、自身が好きだった「水滸伝」に登場する豪傑の名前を作品タイトルにしたものだ。初期の白髪は無題だったり、シンプルに「作品」と名付けたりしていた。しかし海外からオファーが来るようになったのを機に、人物名などを用いてタイトルを付けるようになった。
リトグラフ作品も展示されている。《遠州》《蕪村》《近松》など、こちらにも人物を連想させるタイトルが付いているのが面白い。
白髪は長岡とも縁のある作家だった。1964年に国内で初めて「現代」と銘打った美術館として誕生した「長岡現代美術館」で、64年から68年まで開催された長岡現代美術館賞の第2回に《白色のひろがり》という作品を出しているのだ。今回の展覧会ではダイナミックな《天富星撲天雕》の隣に展示されている。白一色が画面の大半を占める静謐な印象で、白髪の表現者としての幅の広さが感じられた。
会場には、白髪が絵を描く時に使っていたロープや、絵具なども展示されている。白髪の作品には円状に描かれているものもあるが、それはスキージという先端に小さな釘がついたヘラを使って描いた。
下がフットペイントをしているときの白髪の様子だ。天井からぶら下がるロープに掴まり、自身の足をコンパスのようにして描いている様子が伝わってくる。
1971年、密教への関心が高じて白髪は比叡山延暦寺で得度し、天台宗の僧侶として法名「白髪素道」を授けられた。白髪の作品には仏教に関するものが名称に用いられたものがいくつかある。「尊像や仏様などを頭に一度イメージして制作に入ることがあったらしい。ただそれを表現する時に具象ではなく、観念的なものとして描いていた」と今井さんは話した。
行為の痕跡
第2章のタイトルは「行為の痕跡」だ。展示解説によると、近代美術館の所蔵・寄託作品の中から「行為の優位」「行為の反復」「書く行為・描く行為」の観点で選んだ作品を展示。白髪作品と同時代の作品が多い。
《作品 ピンク・赤・91》は白髪が所属していた「具体」の作家、元永定正(さだまさ)のものだ。今井さんは「勢いに任せて描いたように見えるが、実はしっかり計算して描かれた作品。どういう手順で描いたのか、じっくり観てほしい」と解説した。
白髪の作品、《志賀#107》や《遠州》などを観ていると、前衛書道にどこか似ている印象を受けたが、2章では多くの書の作品が展示されていた。
そのひとつが井上有一の《α No.35》だ。井上は保守的な書道界に反発し、江口草玄や中村木子(ぼくし)らと墨人会を1952年に結成している。画家・長谷川三郎の指導を受けており「抽象表現主義の「描く行為」と、書の「書く行為」の類似性が伝えられる作品」との解説があった。
下は墨人会のメンバーだった江口草玄の作品で、いずれも1955年に書かれたものだ。この頃江口は文字を使わずに「書」たらしめることができるか、という実験をしていた。この作品は「現代日本の書と墨の芸術」展に出品され、その後ヨーロッパ6都市を巡回した。
痕跡にあふれる詩情
最終章の3章は「痕跡にあふれる詩情」だ。抽象表現からにじみ出る味わいや詩情が醸し出される所蔵作品を展示している。
下は中村木子(ぼくし)の作品。木子も墨人会のメンバーだった。墨で書いたのかと思いきや、エナメルが使われている。解説には「ジョアン・ミロの作品に影響された作品と見て間違いないだろう」と記してある。
印象に残ったのが高間惣七の「海風」だ。明るく健康的な色彩感覚を表す代表作と解説されている。高間は作品を作ることについて幸福感、平和、明るさ、楽しさ…などポジティブな言葉を列挙し、それらを色彩で表現することだと言っている。確かに柔らかい筆遣いで、鮮やかな色が印象的だ。だが画面上部にベッタリと塗られた黒はなんだろうか。喪服や死などを連想させる黒をなぜ使ったのだろうか。今井さんは「抽象表現は自由に発想を広げることができるのも魅力のひとつ。作品を見て鑑賞者同士が語り合う楽しさにつながる」と話した。
絵に答えを求めず、見て感じたままを誰かと話し合えば、何か新しい発見があるかもしれない。たとえば末松正樹の《群青》を観た時、最初は色彩の洪水のように感じた。だが遠くから振り返った瞬間、偶然目にした時に、鳥の視点で摩天楼を見下ろしているように感じた。
絵を観て何を感じるか、感性や心のありようで観た人の数だけ答えがあるのが美術であり、抽象表現作品なのだと思うと、旅は道連れならぬ、美術館は道連れ…という気分になってくる。ぜひ誰かを誘って出かけてみてはいかがだろうか。
新潟県立近代美術館
行為と詩情―ACTION & POETRY 特別展示:尼崎市コレクション 白髪一雄
2024年1月13日〜2月25日
新潟県長岡市千秋3丁目278-14 TEL:0258-28-4111
休館日:月曜日(2/12(月・祝)は開館、翌13日休館)
午前9時〜午後5時(観覧券販売は閉館30分前まで)
観覧料:一般1,000円、大学・高校生800円、中学生以下無料