若さまクラフト作家デビュー/牧野忠慈
牧野忠慈(Tadashige Makino)
1990年2月20日生まれ
東京生まれの逗子育ち。大学卒業後に長岡市の企業に就職。エンジニアとして働くかたわら水引を使った和小物づくりを開始。ものづくりの屋号は「慈悠庵」。
マイスキップ誌上にて、父親である長岡藩の藩主、牧野家第17代当主の牧野忠昌さんとリレーエッセーを連載していた牧野忠慈さん。最初は若さまとして参加したイベントや自身のルーツの話などが中心だったが、最後の1年は「趣味」について書くことが多く、誌面には水引やレジンを使った小物の写真が掲載された。それを見て思わず「可愛い!」と声を上げたことも少なくない。若さまはなぜ、ものづくりに向かったのか。「慈悠庵」という屋号を掲げ、制作に勤しむその姿を追いかけた。
風流人の流れを汲む
かつての大名には茶や書画などをたしなむ風流人も多かった。名君の誉れ高い長岡藩第9代藩主の牧野忠精公も多くの雨龍図を描き残しており、別名「雨龍の殿さま」と呼ばれている。じつは父の忠昌さんが「DIY好き」で、母は「裁縫で洋服やレース、帽子を作ったり」と、両親ともにものづくりが好きだったと、忠慈さんは振り返る。
ちなみに母方の先祖は飛鳥井家(あすかいけ)という「蹴鞠の宗家で、天皇家とも蹴鞠をしていた」家柄なのだそう。「(そういった環境が)もしかしたら、自分がものづくり好きなことに影響があるかもしれない」と話す。
子どもの頃はプラモデル作りが大好きで、父の大工道具を使って木製の飛行機なども作った。さらに「裁縫、編み物」も嗜んでおり、編みぐるみを作ったり、ちょっとしたポーチを作って父親にプレゼントしたこともあった。高校時代からは折り紙にはまり「タウンページくらいのぶ厚い折り紙の本を買って」取り組むほど夢中になっていた。
こう書くと文系の印象を受けるが、じつは忠慈さんはバリバリの理系。ロボットが大好きで、大学は東京電機大学の未来科学部ロボット・メカトロニクス学科に進学した。確かに折り紙は図形の展開など理系脳が必要で、ロボットに通じるところがあるのかも…という問いに忠慈さんは「確かにそうですね」と頷いた。
日本文化の世界へ
大学の学科は「メカトロニクスの基礎となる4分野(機械、電気・電子、情報、制御)を総合的に学ぶ」というテーマを掲げていた。自身が好きで選んだ分野ではあったものの「ロボットは数字で決まる世界なので、プライベートでは感覚的な価値観で物事が決まる何かをやりたいと考えて」大学時代から華道と茶道を始めた。高校時代にホームステイで海外に行ったとき、茶道を嗜んでいた母からお茶の点て方を教えてもらい、野点セットを持って行き披露した体験も大きな影響を与えた。
「お茶を点てたとき、海外の方たちに喜んでいただけました。その様子を見て僕自身も嬉しいと感じると同時に、日本人でありながら日本文化を何も知らない自分に気付きました。そのこともあって何かやりたいと思ったときに、日本古来の文化にごく自然に興味が向いたのだと思います」
大学卒業後は長岡市内の企業に就職し、現在はエンジニアとして働いている。華道は流派の教室が長岡市になかったため今はお休み中だが、茶道は宗慈という宗名(茶道家元より授かる名前)で今も続けている。
茶人と作家
2018年に長岡藩開府400年イベントのひとつとして行われたリレー大茶会には、茶人としてだけではなく作家としても参加した。
リレー大茶会は総勢2,000名参加の茶会で越路の松籟閣からはじまり、三島・小国・与板・山古志など市内10箇所で、4月から10月までおよそ半年間かけて茶会を開催。そこで牧野家17代当主の忠昌さんが文字を書いた茶碗、忠慈さんが作った花器が、リレーのバトンのように次の会場へと渡されて行き、11箇所目の最終会場・長岡造形大学で大団円を迎えるという流れになっていた。「じつは父の茶器、僕の花器は同じ会場で使われることはありません。10箇所の会場をそれぞれ別々に周り、ふたつの器がようやく出合って一緒に使われるのは最終会場という仕掛けになっていました」
2019年には『次世代伝統文化プロジェクト』という団体を立ち上げ、アオーレ長岡を会場にイベントを開催した。タイトルは『茶道× 狂言 和の響宴 伝統文化の魅力とは「牧野家」×「野村家」次世代を担う若者たち』。和泉流狂言方の野村太一郎さんとタッグを組み、日本の伝統文化の魅力を若者に伝える目的で行われた。
演目は3部構成で、忠慈さんは1部で「茶道をショーのような魅せ方で」観客に楽しんでもらいたいと、ステージ上でお点前を披露した。最近の若い世代には抹茶を飲んだこともない人たちも多い。せっかくのこの機会にぜひ味わってほしいと、来場者に紙製の茶碗で抹茶をふるまった。その数およそ200杯!
茶器には牧野家の家紋である三つ柏が押印されていた。中にはレアもので忠慈さん自らが雨龍を描いた茶碗も入っていた。9代忠精公は茶目っ気のあるお殿様で、香道を楽しむ雨龍、恵比須さまに扮する雨龍などコミカルな図柄を残している。それにちなんで忠慈さんは「茶道を楽しむ雨龍」を描いたのだ。
レジンと水引
19年の年末からは久しぶりに折り紙も再開。さらに新たな趣味としてレジン工作も始めた。きっかけは100円ショップでレジン工作のキットが売られているのを偶然見かけたことだった。
レジンとは樹脂を意味する英語で、液体を混ぜ合わせることで固まるエポキレジンと、紫外線で固まるUVレジンの2種類がある。最大の特徴は透明で艶やかな質感をもつことで、内部に可愛らしいチャームを入れたり、色を混ぜることでガラス玉のような効果を出したり、手がける人のセンスで多彩な表現が可能だ。
忠慈さんが使っているのはUVレジン。「プラモデルをやっていた自分からすると、透明なものを自分で作れるというのはとても魅力的」と語る。さらに水引工作にもはまり、レジン作品と組み合わせてストラップにするなど、和のセンスを生かした作品作りにも取り組み始めた。
新型コロナウイルス感染症が流行し、ステイホームで外出がままならないときも、前向きにクリエイティブな活動に取り組むことができた。何だかまるで来たるべき事態を予測していたようだが「いえいえ、さすがにそれは……。ただ仕事を始めてからはものづくりをする時間があまり取れなくてストレスが溜まっていたのは事実です。家に籠もるのが辛かった方もいらっしゃると思いますが、僕自身は逆に(家に籠もることで)趣味で発散できました」
さらに上のステップへ
レジンを始めたばかりの頃、ネット検索をしたらレジンを使ったハンドメイド作家の人がたくさん見つかった。「そういう世界があることを初めて知った」忠慈さん。最初はただものづくりとして楽しいという思いでやっていたが「ちゃんとした作品を作りたい」という気持ちが芽生えてきた。
実店舗を持たなくても、ネット上でなら簡単に販売をすることができる。誰かに頼まれてプレゼントするのではなく、見知らぬ人に買ってもらえるような作品を作るためには、技術もスキルも磨いていかなくてはいけない。「そうなってくると作品の完成度も上げなくてはいけません。さらに上のステップに進むためにも趣味の世界から一歩踏み出して、作家活動を始めることを決めました」
屋号は「慈悠庵」。「慈」は自身の名前から、「悠」は牧野家ゆかりの悠久山から。さらに「じゆう」という発音には「商売としてやりたいわけではなく、自由にやっていきたい」という意味も込めた。
エンジニアとして開発の仕事に携わったときに「市場のトレンド調査→それに対して自社ができることを分析→他社と差別化し負けない製品を目指す」という考えを身につけた。それをハンドメイド作家としての自分の活動に置き換え、今はものづくりに取り組むようにしている。
「仮に作品が売れなかったとしても、そのために集めた情報や、スキルアップするためにした努力は無駄にはなりません」と話すその顔には、仕事がデキる男の横顔がチラリ。
やりたいことが多すぎて時間が足りないと話す忠慈さん。「先日、水引で瑞鳥を作成しました。瑞鳥はおめでたいことが起きる前兆として現れるといいます。今年が良い年であってほしいと祈り作成しました。これからも技術を磨き、長岡の市章でもあるフェニックスなどの大型の作品も作ってみたいです」
と、今後の製作への意気込みを語った。
最後に、ずばり、聞いてみた。ものづくりとは忠慈さんにとって一体どのようなものなのだろうか。「かつての殿様は町を治め豊かにすることが役割だったと思います。私はものづくりやイベントで、和の魅力を伝え楽しんで頂くことで、皆様の心をより豊かにしていきたいです」