乙女的読書雑記 37冊目 絵本 半分 字本
「絵本 半分 字本 老人と海と女の子 孫と共に迷い渚を浮遊する老人」
絵と文:志賀恒夫
刊:考古堂
世の中には人智を超えたものが存在する。
頭の良い人たちは「データ」とか「エビデンス」とかいうけれど、そんなものはなくても、あるものはある。理屈を超えた存在である何か。
私たち人間の命が尽きても、それは尽きることなく脈々とあり続け、その「何か」のおかげで私たちはきっと生かされているんだろう思わざるを得ない何か。決して新興宗教的な怪しい話ではなく、もっと純粋で深い何か。
知性や理論で学ぶのではなく、もっと心で感じることで得られる「何か」の不可思議かつ深遠なる存在。
はてさて、その「何か」とやらを、テレビ画面に映し出したり、インスタグラムにアップして見せることはできなくても「言葉」で伝えることはできるはず。その何かって何ですか?
いつも思い、問いかけつつも、語ろうとすると、フワリフワリと捉えどころがなく、フラストレーションを覚えることが多々あった。
でも、それは説明できないけれど、確かにあるんだよ!
子どもの頃から感じ続けて、大人になった今も感じているその何かは!
そんな思いやわだかまりが、スルスルとほどけたのがこの一冊だった。
今世界は大きな分岐点に立たされている。戦争か、平和か。一時的な繁栄か、未来に続く豊かな世界か。このままではないけないと思いながらも、何をしたら良いか分からない人たちが多くいる。おそらく「SDGs」もそのような無意識の大きな声やうねりから生まれたものだ。でも、そんな言葉が誕生するずっとずっと前から生き方そのものが「SDGs」だった人たちもいる。この「渚を浮遊する老人」もきっとそのひとりだ。
本を書いたのは新潟市中央区にある「ギャラリー蔵織」「西堀ゆきわ」のオーナーで、建築家でもある志賀恒夫さんだ。志賀さんは子どもたちに絵本を描く約束していたが、それを果たせず時が流れ、いつしか6人のお孫さんを持つ身となった。そのため内容は幼子とおじいちゃんが海辺で対話をするスタイルに変更したのだという。
この本、「絵本」とタイトルに入っていながら絵は3枚しか出てこないのだが、その絵がすごい!!本を読み終わってからじっくりとその3枚の絵を眺めると、最初に観たときとまったく見え方が違ってくるのが面白い。ぜひ手に取って、じっくりと本を読んだ後に、確かめていただきたい。