乙女的読書雑記 36冊目 ゼッフィレッリ自伝
著:フランコ・ゼッフィレッリ
月刊マイスキップ 2020年11月号 vol.238 より転載
刊:創元ライブラリ
本との出会いは摩訶不思議だ。かつての流行歌に「ハッとしてグッときて」というフレーズがあった。まさにそのような精神状態に陥り、見た瞬間、魅入られたように手を伸ばしてしまう本があるのだ。そして、そのような衝動に駆られた本は、ほぼ例外なく「空くじなしの大当たり!」の可能性が高い。
この「ゼッフィレッリ自伝」もそんな一冊だった。そもそも私はこの表紙のハンサムおじさんが誰かも知らなかった。にも関わらず見た瞬間「買わなくてはいけない」と思ったのだ。
彼はイタリア・フィレンツェに私生児として生まれ、戦時中はパルチザンとして活躍。ルキノ・ヴィスコンティのスタッフとして芸能界入りし、公私共に深い絆を築いた。その後、演出の才能を開花させ、オペラ、映画で数々の名作を残した。マリア・カラス、プラシド・ドミンゴ、シャネルなどを友人に持ち、華麗なる人生を送った人でもあった。
彼はおおらかな性格で、何よりもそこに私は惹かれた。曰く「名声を汚いものと考えるのは愚か」「有名であることの喜びはその弊害よりも大きい」等々。
ヴィスコンティに近づき、彼の愛人となり芸能界への足がかりをつかんだ部分はお見事!のひと言だ。こういうことに対して眉をひそめる人もいるかもしれない。だが私的には「愛する芸術のためには何でもする」という彼の生き方は正直で好ましく思えた。
その一方で、彼は敬虔なクリスチャンでもあった。俗世にまみれた人間の中に、厳かで宗教的な心が存在するという真実。これこそがこの自伝の醍醐味であり、人という生きものの素晴らしさだ。
発売にあたってこの本につけられたキャッチコピーは「小説どころではない面白さ!」だ。確かに、その通り。もし無人島に1冊しか本を持って行けないなら何を選ぶ?と聞かれたら、間違いなく、私の中では候補にあがるタイトルだ。
彼の人生は綺麗事だけではない。それでも一切嫌悪感を覚えなかったのは、おそらく彼が清濁併せ呑む「大きな人」だったからではないかと感じた。ひとことで言うならスケール感が違うのだ。この自伝が日本で出版された21年後、昨年6月にゼッフィレッリは96歳で旅立った。(了)